【当たり前ではない】上手く書けませんが・・・

お久しぶりでございます!

なんとなんと、更新するのは約2か月ぶり、このブログを開設以来の長期に渡る「更新無し」となってしまいました。

この期間ですが、当然サボっていたわけではございません。

この春から始めた新しい仕事や新しい取り組みなどでなかなか時間が取れず、その他の時間も全て息子を中心とした家族の時間で欠かすことのできない時間でございましたから、こうしてブログを更新するためにパソコンに向かったのは本当に久しぶりとなります。

この間、頭の中には次から次へと書きたいことが湧いて出てきていたのですが、書く機会を失ったテーマ達は当然、忘却の彼方へ葬り去られてしまいました。

が、その中でも「あ、これだけは書いておきたいな」というものが残っておりますので、久しぶりの今日はそちらのことなどをつらつらと綴ってみたいとおもいます。


いやね、大したことではないんですけどね。

僕は料理をすることが大好きなので、良く家の晩御飯を作るんですね。

仕事が無くて家にいるときなどは昼食も作りますし、なんなら朝も仕事のお弁当も作っているんですよ。

で、これらで作ったものを「美味しそうに作れたよー」という意味でSNSなどにアップすると、

嬉しいことに「すごいねー」とか「偉いねー」という主旨のコメントをいただくことが多いんです。

もちろん、これらは素直に嬉しいですし、個人的には本当に喜ばしいことではあるのですが、ある日ふと、「あれ?待てよ」と、「あること」に気が付いたんです。

僕がご飯支度をするのは単純に「好き」だからです。

簡単にいって「やりたい」んですね。

もちろん、それが家族のためになるのであれば更に嬉しいですし、ともあれ、ご飯のしたくをすることに関して1ミリの嫌な気持ちもないんです。

が、このように思って好きでやっていることに関して「偉い」という感想をいただいり「凄い」というお言葉をいただくことにちょっとだけ「でも・・・」という思いを今まで以上に強く感じるようになってしまったんです。

というのはですね、例えば・・・

妻が毎日洗濯をしてくれている。

妻が毎日息子の朝ごはんを用意している。

妻が毎日家じゅうを綺麗にしてくれている。

妻が毎日洗い物をしてくれる。

妻が毎日息子を寝かしつけてくれている。

妻が毎日息子の送り迎えをしてくれている。

ゴミの日にはごみを出してくれたり、足りないものはちゃんと買い足してくれていたり、なんといっても妻も仕事をもっている。

これらのことを「当たり前」のように毎日家族のためにやってくれている。

それに比べて僕がやっているのはご飯支度くらいのものですよ。

妻が「今日、洗濯をしました!」とか、「今日、洗い物をしました!」とSNSにアップしても「え?そんなことアップする?」という空気になりかねませんよね。

きっとそれは「そういうこと」をするのは女性の役目、もしくは「仕事」だと思っているからもしれません。

汚れた服が綺麗になって畳まれているのは決して「当たり前」ではない。

食べ終わった食器が綺麗になっているのは当たり前ではない。

次の日のお米を研いでくれているのは当たり前ではない。

お風呂掃除やトイレ掃除など、家が綺麗に保たれているのは当たり前ではない。

息子が毎日健やかに眠りにつくのも当たり前ではない。

全て、妻の行動があってこそなんです。

なので、僕がご飯を作るなんて言うのは沢山ある家事の内の1割程度のことに過ぎないんですね。

だから「なにも偉くないし、凄いことではない」んですよ(^^)

それよりもなによりも、多くの人が「当たり前」と思ってしまっている(であろう)家事のほとんどを、それこそ「当たり前」のようにこなしながら自分の商売も怠らず、息子に対しても常に全力で向き合ってくれている妻こそがスーパーマンなのです。

だから最近は料理の写真をアップしなくなりました。


毎朝、息子の顔と妻の顔をみると、「自分が自分に帰ってくる」というような、自分という存在の意義を感じ取れるといいますか、「今、ここ」に自分というものが存在しているんだということを強く感じさせてもらえます。つまり、妻と息子が僕を存在させてくれている。

これを思うだけでも、最大の敬意を込めてその全てに感謝したい気持ちが溢れてきます。

妻よ、息子よ、毎日ありがとうね!

これからも美味しいご飯つくるからねー\(^o^)/

以上です(*^^*)

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