おはようございます!
超久しぶりの更新となってしまいました。
この時期は毎年お世話になっております農家さんのお手伝いが始まりますので比較的更新は延びがちなのですが、今年はそれに加えて宝物(息子)との時間を過ごしたいという抑えきれない気持ちのおかげでパソコンに向かう時間が減り、このように延び延びになった次第でございます。
ま、息子は妻曰く「ちゃんと待てるよ」ということなので少しくらい相手をしなくても何ら問題はないのでしょうが、如何せん僕の方が構いたくなってしまい、ついついそばに寄っていってしまう状況となっております(^_^;)
この時間(7:15分現在)はまだ息子が寝ておりますので、その間に書けるところまで書いてみたいと思います。
さて本題。
最近、本当に真剣に、なんなら悩むくらい考えていることがあるんです。
大袈裟ではなくて、「日本って本当にこのままで大丈夫?」ということなんです。
順を追って書いていきましょうか。
まずですね、キッカケと言いますか、というよりはずっと燻っている感情に
「日本で政治に関した発言をすると、煙たがられたり、鬱陶しがられたり、もっとひどいのは無関心を決め込んでそれがクールだと(考えたって仕方がない。楽しくいこうぜ!的な思考停止な振る舞い)思っている節が見受けられる。それはいったいどうしてなんだろう。」
という感情がずっと拭えないでいたんですね。
ところに、最近流行ってきた個人的には耳を貸したくない言葉「親ガチャ(主にネット上で使用されている、どのような親のもとに生まれてくるかによって人生が決まってしまうという意味で使用されている言葉)」が耳や目に飛び込んでくるようになり、決定打はそれに関連した言葉「国ガチャ」という言葉を目にしたことなんです。
「国ガチャ」とはつまり、「生まれてくる国によってその人生が決まる」というような意味で使われておりまして(もちろん、その言わんとしていることは理解できますが…)、上の文脈で言いますと、
「あんたら、日本の政治のことについてとやかく言っているけど、日本はセーフティーネットも充実しているし治安はいいし自然は綺麗だし食べ物も美味しい、そんな国に生まれた時点で国ガチャ大当たりなのに文句言うなよ」
という意見が非常に多いということに気が付いたのがこのブログを書こうと思った決定打になったんです。
もちろんそれは「その通り」でしょう。
こんなに美しくて、人々の行動も綺麗で、自然豊かで安全な国はそうそうないでしょう。
その点に関しては微塵の反論もなく完全同意します。
でも、そこには「今はね。」という注釈が付くと個人的には思っているんです。
つまり、現時点で「国ガチャ大当たり」という視点には、「時間軸」という視点が抜けているのではないのかと強く思うわけなんです。
今は国ガチャ大当たりだけど、未来永劫、それが保証されているとは限らないのではないですか?というのが、僕が最も危惧している部分なんです。
これも具体例を書いて考えていきましょうか。(すんません、長くなりそうです。)
最近の大きな出来事でいえば、例えば「銀行法」の改正(改悪と書きたいくらいです)ですが、これ、どれくらいの人が知っているのでしょうか。
簡単に書きますと、「今までは非上場企業の買収は上場していないわけだから買収できなかった。でも今回の改正案では銀行は非上場企業でも100パーセント株式を取得できる。」ということ。
つまり、中小企業の味方であったはずの銀行に、助けてもらえるどころか乗っ取られてしまう可能性があるということです。
もちろん、日本的な考えでは「馴染みの銀行さんがうちみたいなところを乗っ取るなんて考えられない。うちには関係ない。」なんて思うところでございますが、しかし、問題はその銀行が「外国資本の銀行でもいいよー」ってとこなんです。
その何が問題なのか。
この銀行法の改正と歩を合わせるように、ウォール街きっての大銀行「ゴールドマン・サックス」が日本で銀行免許を取得しているんですよ。
つまり、「お、この企業はいいもの作ってるし儲かりそうだな。ちょっと買っとくか。」的なノリで(もちろん買収に反対すればスムーズに物事は運ぶわけないのですが、例えばコロナで企業業績に大打撃を受けている企業が札束で頬を撫でられたら・・・)買収されて、日本の物作りがどんどんと外資に買収されていく道筋ができたということなんです。
これって、大袈裟ではなく、日本の国力、もっと言えば「文化」まで奪われかねない大事だと思うのですが。
もうひとつ、身近なところで重要なところを書いておきましょうか。
それは「水道法の改正」(これも改悪です)です。
つまり「水道事業の民営化」への第一歩。(ちなみに決まったのは2018年12月)
ま、「民営化」とは少し違うのですが、ちょっとだけ詳しくみていきましょうかね。
現状、上下水道は多くの自治体が管理・運営をしておりますが、改正水道法では、インフラなどの「所有権」は自治体が、その施設を利用して事業を行う「運営権」は民間企業が請け負うというものなんですね。
これを「コンセッション方式」と呼びます。
この「コンセッション方式」、民間企業にとっては美味しいところだらけですよ。
だって大規模なインフラを整えなくてもいきなり水道事業を運営できるのですから。
で、何が問題か。
簡単ですよね。
「民間企業が運営するってことは利益を出さないと水道管の整備とかできないから水道料金上げるかもだけど仕方ないよね?」
という理由で、ライフラインである「水の価格」が一企業によって握られてしまう可能性があるんです。
この民間企業がもし某共産主義の企業だったら・・・
水源地を抑えるだけでは物足らず、「水を飲みたかったら月1万払ってね?生きてくためには安いもんでしょ?」ってことになりかねないんですよ。大袈裟ではなく。
そしてさらなる肝は「所有権は自治体のまま」というところでして、民間が運営するってことはインフラの整備なんかも当然その収益から行わなければいけないのですが、例えば大震災や洪水で大規模な災害に見舞われたときに一企業が全部の費用を捻出するなんてことはなく、そうなると当然のように公的なお金(つまり我々の税金)が使われることになるのですが、「所有権が自治体のまま」だとすると、この部分で「いや、うちは関係ないから。だってあんたらの事業でしょ?」と民間企業を一刀両断に斬れなくなるんです。災害大国の日本でそれを想定しないのはありえないでしょう。
どうです?
将来を見通して明るいですか?
こんな大事なことがこっそりと可決しているんです。
僕はもう50歳ですから、先なんてたかが知れてるので僕が生きているうちは「国ガチャ」の恩恵に与ることは想像に難くないですが、もう少し先、息子が成人したとき、もっと言えば孫世代になったときには・・そう考えますと、今から考えて・発言して・行動していかないと、手遅れになる(つまり日本がなくなる)ことも漫画や小説の世界の話ではなくなってきているんです。
政治的なことに関して言えば、「これは反対」「これには賛成」と個人としての意見を発信することは大いにあるべきだと思いますし、そうしないと、「知らないうちに好き放題やられてしまう」ということを黙って受け入れるということに他なりませんので、「この問題に関しては僕はこう思います。」という発言に対して「素人は黙ってろ」的にマウントを取る人が少しでも減って、建設的な議論ができる空気に変わっていってほしいという願いを込めて、この辺で〆ようと思います。
ご精読ありがとうございました。(途中に息子が起きてきて更新がこの時間になってしまいました。息子可愛い…)