「指導者」という存在について

おはようございます!

なんと、約2か月ぶりの更新・・・

ここまで更新がないと、もう誰も読んでくれないですよね(^^;)

気が付けば既に3月。

まだまだ忙しくさせていただいておりますのでまた更新できない日が続きますが、のんびりとお付き合いしていただけますと幸いです。

さて、本題。

本日は「指導者」という存在について考えてみたいと思います。

これはですね、にわかに世間を賑わし始めた、オリンピック女子日本代表で現在五輪四連覇中の伊調馨選手に対する日本レスリング協会の強化本部長の栄監督の言動を見て、自身のスキー教師としての立場と考え方を改めて考えてみたいなと、このように思った次第でございます。

もちろん、現時点ではこのニュースの真偽のほどは定かではありませんから一方的に栄監督に対して「それは違うだろ」とは言い切れないという前提での話ではあることは言うまでもありませんが、「もし本当にそうであるなら」と過程して書いていきたいと思います。

これねぇ・・・

スキーの世界でもよくあるんですよねぇ・・・

大会での好成績を目指す選手にとっての「コーチ」だけの話ではなく、ただスキーを楽しみたい、検定や自分の目標に向かって努力することそのものを楽しみたいという、いわゆる「一般」のお客様に対する「インストラクター」、つまりスキー教師でもそのようなことが少なからずあったりするんです。

選手の好成績は「コーチのおかげ」

検定に合格できたのは「指導者のおかげ」

大会での好成績を目指す選手にとっての「コーチ」だけの話ではなく、ただスキーを楽しみたい、検定や自分の目標に向かって努力することそのものを楽しみたいという、いわゆる「一般」のお客様に対する「インストラクター」、つまりスキー教師でもそのようなことが少なからずあったりするんです。

もちろん、選手や受験者本人がそう思ってくれるのであれば単純に嬉しいものではありますが、しかし、あからさまにコーチや指導者側からその評価を求めるのは愚の骨頂でしょう。

ま、ここでは主題ではないので個々の事例をいちいち取り上げることはしませんが、ともあれ、一万歩譲って「コーチ」がそのような態度であってもギリギリ成立してしまうかもしれませんが、しかし、その第一義が「サービス業」であるスキー教師がそれを大上段に振りかざしてしまっては、もはや救いがないとしか言いようがありません。

選手やお客様が結果を出したとき、それは言うまでもなく120%その人本人の努力の賜物。

それ以外の要素はありません。

よく言うじゃありませんか。

「馬を水飲み場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」って。

我々ができることといえば、つまり「水飲み場に間違いなく連れていく」ということだけでしょう。

『インストラクショナルデザイン』の著者である「島宗理」氏もその著書で定義づけておりますが、インストラクションとは「行動を引き出すための仕掛け」であって、それ以上でもそれ以下でもないわけでございますよ。

つまり、方向性を示すことはできる。

しかし、それを実行するかどうかを決めることはできない。

もうこれだけで言いたいことは伝わるでしょう。

コーチや監督と呼ばれる指導者の思い通りにならないからといって贔屓したり嫌がらせをしたりする、そんなことがスポーツの発展に繋がるとは一ミリも思えません。ましてや、ご縁をいただいた選手やお客様のためにな

自分一人が伝えられることなんて限界があるのですから、だからうちのお客様にはいろんな人からいろんなことを伝えてもらってそれを取り入れていただきたいと思っておりますし、僕のいうことが全て正しいとは思わないでくださいとお伝えしております。

もちろん、誤解なきように書いておきますと、お客様にお伝することには全て自信を持って大きな声で言えるものですし、それを言葉にするまでに考えられる全ての方面から考察・検証をするという作業は踏んでおりますが、それでも、感覚や言葉のニュアンスの理解の仕方には人それぞれの「クセ」というものがりますから、その意味から絶対ではないとうことです。

このレッスンやコーチングはいったい誰のためのものなか。

そこを見失った途端、もうれは「指導者」と呼べないのかもしれませんね。

反面教師、改めて心に刻み込みます。

それではまた♪

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