【50歳でパパに・気まぐれ子育て日記②】宝が我が家にやってきた

この「気まぐれ子育て日記」では、50歳の夫(私)と40歳の妻という世間一般からみると「高齢」の夫婦が親となり、我が家にやって来てくれた最愛の息子との奮闘記を、同じような境遇の方の参考に少しでもなるといいなという思いから、不定期ながらも徒然なるままに書いていこうかなと思います。

前回までの記事はこちら

◆出産

2021年5月26日、陣痛が始まったと妻から連絡を受けてから約13時間後、「陣痛が強まらないので陣痛促進剤を入れることになりました」という連絡を最後にラインでの連絡も取れなくなりました。

この御時世で病院にもいけない今、一刻も早く状況が知りたいともがいておりますと、病院から1本の電話が。

病院から電話?
どうした??

ドキドキして舞い上がっている僕に電話の向こうで担当者の方が

「陣痛促進剤を投入しましたがなかなか赤ちゃんが降りてきてくれませんので、お母さんと赤ちゃんのことを考えて、急遽、帝王切開に切り替えることとなりました。つきましては緊急手術となりますのでお父さんも病院のほうに来ていただくことは可能でしょうか・・・」

もうね、この時はほぼ後半は聞こえてません。

とにかく、順調に進むと思いこんでいたお産が緊急の帝王切開手術という展開。
焦りに焦りまくりながらも、とにかく病院へ行ける、そして頑張ってくれている妻の姿も一目見れるかもしれないという少しばかりの光を伴った複雑な感情ですぐさま病院に向かいました。

説明の通り、手術室の前にある待機コーナーのような一角でやきもきしながら30分ほど待っておりますと、看護師さんが降りてきて「今、お母さんがきますからね」との言葉のすぐ後に、担架に横たわり憔悴しきった、でも「元気な赤ちゃんを産むんだ!」という覚悟が伝わる目で心だけは折れていない妻が運ばれてきました。

この妻を見た時の感情は決して忘れることはないでしょうね。

感謝、畏敬、強さとは、愛おしさとは、人間の美しさ、命の重さ、生命の繋がり・・・もうどんな言葉を用いても表せないほど沢山の感情が湧いてきて、一瞬動けなくなったほどです。

すぐさま妻の側へ駆け寄り手を握りましたが、もちろんゆっくりと話している場合ではないので「ありがとう。頑張って。」と月並みな言葉しかかけることができず、それでもしっかり「頑張る」と応えてくれた妻に救われた思いでした。

妻が手術室に入ってからどれほど経ったでしょうか。

途中、悲鳴にも似た妻の声をただ聞くことしかできず無力感に苛まれながらも祈り続けておりますと、突然、手術室の扉が開き、

「お父さん、元気な男の子ですよ!」

と僕を呼んでくれる声が。

あぁ・・・
おぉぉ・・・!
お前かぁ・・・
ずっとお腹の中で暮らしてたのはお前だったのか・・・
うぉーーーー!!!!
よく来たなぁ!!!!

保育器に入れられてくしゃくしゃの顔で一生懸命に泣いているその子は、2021年5月26日18時6分、3474gとしっかりとした身体でこの世界に引っ越ししてきてくれました。

手足を懸命にばたつかせ、初めて味わう酸素をその身体に目一杯とりこみ、これからずっと生きていくこの世界をこの瞬間から知っていこうとでもいうような姿にこみ上げるほどの感動を覚え、もうですね、本当に言葉が出てこなくて「あぁ・・」とか「おぉ・・!」しか言えませんでした。

それから遅れること10分くらいでしょうか、最大で最高の大仕事を果たしてくれた妻が手術室から出てきました。

麻酔が残っているので朦朧とはしておりましたが、僕を認識してくれて、「ありがとう・・・!」と声をかけると、帝王切開という身体にかかる負担が尋常ではない出産にもかかわらず「無事に生まれてきてくれてよかった・・・帝王切開で良かった・・・」と目に涙を浮かべて言ってくれました。


病院から出ると、眼前には雄大にそびえる羊蹄山が。

この大きなお山のその麓でのびのびと素だってほしいなぁと思いながら、嬉しさと、同じくらいの責任の重さと、そしてなによりも、今まで感じたことがない幸福感に包まれながら病院を後にしました・・・

改めて、息子よ、よく来たな!
そして妻よ、ありがとう!そしてお帰り(*^^*)

ということで本日はここまで。

次回は少し「お父さんが出産前にやっておく/出産後にやるべき仕事」をまとめて書いてみたいと思います(*^^*)


この本、かなり勉強になりました。『産科医が教える赤ちゃんのための妊婦食』 [ 宗田哲男 ]

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