【50歳でパパに・気まぐれ子育て日記⑧】宝が我が家にやってきた~可愛さ記録、毎日更新中~

この「気まぐれ子育て日記」では、50歳の夫(私)と40歳の妻という世間一般からみると「高齢」の夫婦が親となり、我が家にやって来てくれた最愛の息子との奮闘記を、同じような境遇の方の参考に少しでもなるといいなという思いから、不定期ながらも徒然なるままに書いていこうかなと思います。

前回までの記事はこちら

◆2ヶ月を迎えて(後半はちょっと真面目な内容)

前回の記事で、生後から1ヶ月あたりまでのことを書きましたが、今回は2か月を迎えて、息子がどれだけ可愛くなったのかを書いてみたいと思います(笑)

まぁそれは冗談だとしても、息子も日々成長を重ねておりまして、それを見るたびに「あぁ可愛い」と思うのは事実でございまして、特に、先日ちゃんと「おはよう」と喋ってくれたときの愛おしさは例える言葉が見つかりません。

もちろん「おぁうぉーぉ」くらいのものなのですが、しかし、この「おぁうぉーぉ」は我々が朝、きまって「おはよう」と声をかけるとおなじ音を返してくれますので、息子は間違いなく「おはよう」と言っているに違いありません(キリッ)

後はですね、生活のリズムがかなりはっきりとしてきました。

大枠で書きますと、午前7時起床、8時半~10時の間に快便、どれだけ寝ていても沐浴の16時付近には目覚め、夜は遅くとも21時には爆睡と、まぁ手の掛からないわかりやすい子なんです(*^^*)

ミルクも、次のミルクまでの時間が開くようになり、その代わり1回に飲む量が増えてくるなどしておりますし、うつ伏せトレーニングでも顔をしっかりと上げられるようになりましたし、我々の動きをちゃんと目で追えるようになっておりますし、もうですね、日々の成長とそれに伴う愛おしさの洪水で幸福を処理しきれません(笑)


そんな中、思うことをちょっとだけ真面目に。

子供を授かるということは、そこにはとてつもない責任が存在します。

彼は自ら望んでこの世に誕生したわけではないかもしれない。

勝手に名前をつけられて「何者か」にされて、わけもわからずに「生」がスタートしているんです。

なので誤解を恐れずに言えば、もし、この先、彼が自ら「死にたい」という想いに駆られたとしたならば、我々は「死ぬな」とはいえない覚悟を持つ必要がある。

もちろん、それは絶対に我々は望まないことなのですが、我々に言えることはただ「生きていてほしい」「君が生まれてきてくれて、どれほど幸せでどれだけ嬉しいのか言葉にはできないほどだ」ということだけで、その人生の分かれ道の最後の選択権はどこまでいっても彼にあるということを肝に命じておかなければいけないと思っております。

であるからこそ、我々「親」は、もっと広義でいえば「大人」は、「絶対的」に彼の幸せを形作る土台を築かなければいけませんし、幸せや喜び、言い切ってしまえば彼に「生まれてきて良かった」と思ってもらえるまで、彼を愛し、尊重し、敬っていかなければいけないと思っております。

ま、こうして書くととてつもなく日々の生活が重くなるような感じになってしまいますが、これが真逆で、親となって初めてわかりましたが、上に書いたようなことを思うこと、やることがこの上ない喜びであり幸せであるので、我々は何も変わらず、このまま無条件で息子を愛し続けたいと思います(*^^*)

息子よ、産まれてきてくれてありがとう\(^o^)/

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