【決して「小さく」はない】「毎日」は特別な時間の連続である。

おはようございます!

昨日の12月30日はスキー教師としては稼ぎ時ですが、僕は約1か月ぶりのお休みとなりました。

お陰様で昨日はゆっくり身体と足を休めながら、息子と沢山遊ぶことができました。

さて、今日はですね、先日、夕食の際にふと思ったことがありますのでその辺りを書き殴ってみたいと思います。


先日、いつものように家族で晩御飯を食べていたのですが、その時に突然「ぶわっ」と「あぁ嬉しいなぁ。暖かいなぁ。これが幸せっていう感情なのかなぁ」という思いが沸いてきたんですね。

妻と息子とみんなで笑いながらこうして食卓を囲むことができるこの日々が決して「当たり前」ではなく、この「当たり前」は実はとてつもない「特別」の連続であるということを改めて感じたわけなんです。

よく、「決して裕福ではないけれど、こうして笑って食卓を囲むことができる小さな幸せ」なんていうフレーズを目に耳にしますが、これ、実は全然「小さく」ないんですよね。

小さいどころか、僕にとってはこれこそが求めていたもの、最大にして唯一無二の幸福感を抱ける時間なんです。

それを考えますと、「毎日」というのは本当に特別の連続であって、決してささやかでも小さくもなく、これ以上に幸せな時間はないわけなんですよ。

妻と息子が目の前にいてくれて、無邪気に笑ってご飯を食べている。

たまに息子がやんちゃして「これー!」と注意するときもどこかで笑っている。

息子は目一杯甘えてくれて、グダグダしているけどどこか嬉しそう。

それを見ている我々もニヤニヤして喜んでいる。

暖かい家があり、美味しいご飯をいただけて、家族みんなが笑っている空間に居れることが「小さな」訳がありません(*^^*)

高級なホテルも、立派な車も、一流レストランのお料理も、贅沢に過ごせるお金もないけれど、それこそ、それらは「小さな」幸せや喜びであり、「目指すもの」ではなく「付随してきたらラッキーだな」くらいのものであり、我が家にとっては今の毎日が「かけがえのない時間と空間」であって、こうして「特別」な日々をこれからも連続していけるように精進していくことこそが最大のミッションであると思った次第でございます。

人それぞに幸せや喜びの「定義」は違います。

なのでいろいろな考えがあっていいのですが、僕はこれからも、この「毎日」が連続していけることを最大の目標として進んでいきたいと思います。


皆様、今年も沢山お世話になりました。

また来年もよろしくお願いいたします(*^^*)

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